おうなも歩けば

都の西北(にしきた)に暮らす若おうなの毎日から、 日々の新しい発見や気付いたことを、 写真と共に思い立ったときに書いています。

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大きくなった!

晴れ。

父方の伯父が亡くなった。享年92歳。
7人兄弟だった父だが、これで父のみが残る形になった。

お通夜に行き、多くの従兄弟・従姉妹達に久しぶりに会った。
全員が私より年上。
一番最近にあったイトコでも2,3年前、大半が10数年前(今日亡くなった伯父の叙勲のお祝い)、
一番会っていないイトコ達は「学生時代以来!」という状況。

私は三人姉妹の末っ子で、姉二人も一緒にお通夜に参加していた。

イトコ達に会う度に、一番上の姉に間違えられる。
次に、疑わしそうな顔をしながら二番目の姉の名前を言われる。
そして、こちらから名乗ると、皆が一様に驚いた顔をして言う。

「大きくなったねぇ!」

..... すみません、私の年齢でそれを言われると、なんと返事をして良いかわかりません。


私が、姉たちと少し年が離れていることもあって、「小さいイトコ」という印象ばかりがすり込まれているらしい。
いまだに「生まれたときには病院に見に行った」とか、「ちっちゃくて目がおっきくて大人しくてかわいかったぁ」との
表現が次々と出てくるのだから、なかなかすごい。

だのにハイヒールを履いた私は、イトコ達(男女共に余り背が高い方ではない)の中ではかなり大きい。
且つ、今の見た目は「しっかりものっぽい」らしい(姉の表現)。
結果として、子供の頃から姉妹の中でも常に一番大きく(あたりまえ)、且つシッカリものだった長姉だと思うわけ。

何だか30年ぐらい時計が戻ったような、奇妙なような新鮮なような体験でした。

同じぐらい(もっと?)時計を巻き戻せそうなポスター。
110607年代

亡くなった伯父は、ずっと国立大学の教員だった。工学部。
決して豊かでない普通の商家で7人兄弟の真ん中に生まれた伯父は、
小学校の頃から、学校から帰ると勉強をしている子供だったという。
父は何かというと「こっちはその分まで家の手伝いをさせられた」と愚痴り、
うちの父とこの伯父しか大学に行かなかった兄弟だったが、その中では
「あれだけ子供の頃から手伝いもせずに勉強していたのだから、成績が良くて当たり前」、逆に言うと
「余りできない奴だったけど、あれだけ勉強させてやったから教授にもなれたんだ」と言いたい放題で
言われていた。
イトコの中で、四年制の大学に行ったのは男性陣とうちの姉妹のみ。
工学系に行ったのは、伯父の息子の一人と私ぐらい。
そのせいか、滅多に会わなかったが、会ったときは「その後どうしてる」と声をかけてくれたし、
出版した本を送ってくれたり、退官した時の論文集もくれたり、と、
殆どつきあいのない親戚関係の中では私には少し身近だった。
といっても、この20年で3回か4回しか会っていなかったけど。

さて、明日は朝から横浜。
寝なくっちゃ。お休みなさい。

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