おうなも歩けば

都の西北(にしきた)に暮らす若おうなの毎日から、 日々の新しい発見や気付いたことを、 写真と共に思い立ったときに書いています。

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産業遺産

きれいな晴れの週末。

冬らしさまっただ中のこの週末、足尾銅山に行ってきた。
産業遺産としての側面が思っていた以上に興味深くて、観光客もほとんどいない昨日今日の二日間、
「足尾のおおよそのところは見た」と言える程度はシッカリと見てきた。

川沿いの山肌に残る石積み。
111218小滝跡

これらの石積みは様々な建物の基礎の跡。この写真は集会所や配給所、寮などの跡ということだけど、
鉱夫の社宅、役員クラスの社宅、共同浴場、社員用の長屋、などなど、山間のあちこちに驚くほど
多く存在していたという。だから、その気で見ると、こういった石積みがそこかしこに現れてくる。

一つの山の下に、1,200㎞というすごい長さ(東京-博多間に匹敵とか)の坑道を持ち、
明治時代の当時は日本一の規模の水力発電所を持ったり、山の中に索道が張り巡らされ、
最大規模の頃は3万数千人の住民が暮らしていたという。
その足尾銅山、閉山は1973年。

上の写真の建物群があったところが、この看板にある「小滝」という地域。
111218小滝跡2

土曜の夕方、この奥にある宿まで車で走らせているときは、
「普通の山肌の林に妙にたくさん石積みが...」と思っていたのだが、ここだけで1万人が暮らしていた
とは信じられない。
何しろ今は、林の中に石積みが残っているだけ。
建物撤去後に植えたかと思われる桜が、煉瓦積みの隙間にしっかり根を張っていたりする。

こちらは、足尾本山という昔のJR足尾線終点駅周辺に今も残る精錬所跡の建物と駅。
111218本山精錬所

写真真ん中の黒っぽいところが昔の駅部分。荷の搬出入のためか、やや高架になっている。
奥に見える煙突は40m以上ある大煙突。

江戸時代から銅の掘削が進められていたと言う足尾銅山だが、
明治時代以後の100年余りの間の発展(と消滅)を考えると、目がくらむような思いがする。
人間の産業活動の激しさ、その影響、世の中の変化、等々。

産業遺産を見て回るのを趣味としても良いかも!と心底思えた、充実感たっぷりの週末でした。

でも、今回残念だった事が二点。
まず一点。
昨日泊まった宿、温泉が熱すぎてぬる湯好きの私は湯船に入れない。
しかも、脱衣所は暖房が全くなくて、とにかくぶるぶる震えるほど寒い。
そんなこんなで、身体を温める事も出来ないまま、且つ温度差に対応できなかった情けない私は
ひどい頭痛におそわれてしまい、えらい目にあった。
もともと頭痛持ちだし、「突然お湯につかって頭がガンガンした」という経験も多いけれど、
昨日は本当にこのままどうかなってしまうか、と思うほど。
あぁびっくりした。

二点目。
足尾は冬の週末にわざわざ遊びに行くところでも無いらしく、観光客はほとんどいない。
これはこれで良かったのだけど、とにかく管理されている観光施設も閉まっているところが多く、
お昼を食べようにも食事処が全て閉まっていた。
結局、中を見られない建物群は外からこっそり眺め、お昼はコンビニでおにぎりやお菓子を買い込んで
車の中でゴソゴソ。
町中に人もほとんどみかけない地域だから仕方ないとは言えるけど、次に出掛ける時はそこも
考えておかなくちゃね。


帰宅後、頭痛が昨日の騒ぎで活気づいてしまったのか、また頭痛。
まぁ昨日も今日も頭痛薬がよく効いてくれるので助かったけれど、
何となく不安で結局今日もお風呂に入れず。

仕方ない、とにかく暖かくして、「次の産業遺産はどこを見に行こうかしら!」を考えながら
寝てしまいましょう。


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